東京地方裁判所 昭和62年(刑わ)470号 判決 1987年12月22日
主文
被告人を罰金一〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四九年三月大学を卒業し、同年秋にフリーの雑誌記者となり、昭和六〇年七月以降、株式会社講談社が発行する写真週刊誌「フライデー」の契約記者として、取材等の仕事に従事していたものであるが、昭和六一年八月ころ、同誌編集部内の会議において、テレビタレント・甲ことA(以下「A」という。)の愛人関係についての取材をする企画がたてられ、そのころ、被告人がA方マンション付近に張り込み、同人の愛人と目されていたRの写真を撮影したり、同女の母親からコメントをとるなどの取材を行い、これらが同年九月五日号の「フライデー」に掲載されたのち、同年一二月上旬にも、再び、Aの愛人関係についての取材が企画され、被告人がこれを担当することとなつた。
被告人は、同月八日午前九時三〇分ころから、東京都渋谷区神南一丁目四番一七号所在の専門学校・桑沢デザイン研究所前において、R(当時二一歳)が登校するのを待ち受け、同日午後一時ころ、同女を認めるや、同研究所前歩道上において、所携のテープレコーダーを録音状態にして右手に持ち、これを同女の方に差し出すようにして、「Rさんですね。ちよつと話を聞かせて下さい。」などと言いながら、同女に近付いたところ、同女が被告人を無視して通り過ぎようとしたため、同女を引き止めて取材しようと考え、右肩に掛けたバックのひもに添えていた同女の右手の手首と肘との間付近を左手でつかみ、同女と向い合うような状態のまま、同研究所一階の駐車場前付近まで同女を押して行き、逃れようとして抵抗する同女の体を、同所に駐車中の普通乗用自動車の後部に数回押し当てるなどの暴行を加え、よつて、同女に安静加療約二週間を要する頸部捻挫及び腰部挫傷の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(補足説明)
一弁護人は、被告人が、本件当日、前記桑沢デザイン研究所前で、Rに対し取材(以下「本件取材」という。)をしようとした際、同女の右腕をつかんだことはあるが、同研究所の駐車場に駐車中の普通乗用自動車に、同女の体を押し付けた事実はないから、被告人は無罪である旨主張し、被告人も捜査・公判段階を通じ、これにそう供述をしているので、以下、若干の検討を加える。
二まず、被害者及び目撃者らの証言についてみると、本件被害者のRは、当公判廷において、判示の日時・場所で、被告人から自己の右腕をつかまれたまま、前記駐車場付近まで押されて行き、同所に駐車中の白つぽい乗用車の後部に、腰部付近を数回押し当てられた旨証言し、目撃者であるN、O、P及びQらも、被告人がRの体を本件車両に押し付け、その体を前後に揺さぶり、同女が反り身になつていたのを目撃した旨証言するほか、本件車両が白つぽかつたこと、被告人が同女に覆いかぶさるようになつていたこと(N、O及びQ)、被告人が同女の体を本件車両に数回ぶつけたこと(N、O及びP)、同女の体がドンドンという感じで打ち付けられたこと(P)、同女の腰が本件車両の後部角付近にぶつけられ、その時、ドンドンという音が聞こえ、同女が「キャー、助けて。」と叫んだこと(O)、同女の腰付近が本件車両にぶつかつたように見えたこと(Q)、また、いずれの目撃証人も、被告人が同女に近づき、同女ともみ合つている様子を見て、同女が痴漢か変質者に襲われているのではないかと思つたなどと証言している。
三そこで、まず、本件現場に居合わせた目撃者の証言の信用性について検討する。
1 右各目撃証言は、被告人がRを本件車両に押し当てたという最も重要な点で一致しているうえ、いずれも具体的かつ詳細で、その内容も自然で合理性があり、また、各弁護人からの重ねての尋問に対しても、前述のような被告人の行動を目撃した旨、一貫して明確に証言している。しかも、前掲各証拠によれば、右目撃証人らは、同研究所の学生またはその友人であるが、いずれも本件当時、被害者と面識がないか、あつても特に親しい関係になかつた者などである反面、被告人とも格別の利害関係を有する者でもなく、したがつて、被害者若しくは被告人に対して、ことさら有利若しくは不利な証言をすべき立場にはないものであることが認められる。
そして、証人Sの証言その他関係証拠によれば、被害者は、本件当夜、母親のSや前記Aらに対し、本件取材時の出来事を話し、被告人から車に押し付けられるなどの暴行を受けて、腰と首に痛みがある旨訴えていたこと、また、医師若江幸三良の証言、同人作成の診断書及び診療録(写)、司法警察員作成の被害者の受傷状況に関する写真撮影報告書等によれば、本件一両日後における被害者の腰部には、前記各目撃証人が述べる暴行の態様に符合するものとみることのできる挫傷が、明瞭に存在していたことがそれぞれ認められるのであつて、以上のような、各証言内容の具体性、明確性、合理性、各証人の証言態度、各証人と被害者や被告人との関係、及び本件当夜における同女の言動や同女の身体に存在した傷害の部位・内容等に照らせば、前記各目撃証言は十分信用に値するものというべきである。
2 弁護人は、これら目撃証言の信用性を争い、N及びO両証人は、本件当時、被告人の取材行為を目撃することができない位置にいたものであるというが、N証人は、人待ち顔の被告人が、本件の直前に、同研究所前で歩道を往復したり、ガードレールに座るなどしていたこと、当時、被告人は、ジーパンにジャンパー姿で、右肩にはショルダーバックを掛けていたこと、被告人とRとの間にもめごとがあつたようなので、三メートル程近付いて見たこと、O証人も、本件の直前に、被告人が同研究所前のガードレール付近に立つていたこと、被告人が同女を本件車両に押し付けたのを見た位置は、OがNと立ち話をしていた位置よりも、本件現場に多少近付いていたことなど、本件犯行を目撃するまでの経緯、目撃位置等について、いずれも具体的かつ明確に供述しているのであり、これらの証言内容をも併せ考慮すれば、両証人が、被告人の本件行為を目撃していたことは明らかというべきである。
3 また、弁護人は、本件車両の具体的特定とその駐車状況、さらには、被告人がつかんだRの体の部位、被告人が同女を本件車両に押し当てた回数等について、目撃証人らの証言に不一致ないしはあいまいさがあり、また、捜査段階の供述ともくい違いがあるというが、本件車両の位置等については、前記研究所の駐車場内にある二本の太い柱の間に駐車していたという大筋においては一致しているのであり、ただ、それ以上に、両柱の間の、同研究所に向かつて右側か左側かの点について、くい違いがあるに過ぎないのであつて、右の差異は場所的にさしたる隔たりがあるわけでなく、かつ、各証人にとつての関心事は、被告人と被害者との間のトラブルについてであつたとみうるから、車両の形状や正確な駐車位置それ自体について、記憶が不確かであつてもさして不思議はなく、また、被告人の暴行の態様についても、前述のとおり、被告人が同女を本件車両に押し当てたことを目撃したという、最も重要な部分については、各目撃証人の一致した明確な証言が存在するのであり、弁護人が指摘するような、各証言相互間ないしは捜査段階の供述との間で、付随的な状況について若干のくい違いやあいまいさがあるからといつて、各目撃証人の前記各証言部分の信用性を否定するのは相当でない。
四次に、被害者Rの証言の信用性について検討する。
弁護人は、同女の証言に関しても、例えば、本件車両の位置、被告人が同女の腕をつかんでいた時間、被告人と同女の体との接触の有無などについて、不合理ないしはあいまいな点があり、また、検察官の主張する車両の後部角の車高とあざができたとする同女の腰部の高さに著しい差があることや、本件直後、同女が前記Aらに伝えた本件取材時の状況についての内容が、同女の証言とくい違つていることなどを指摘して、その証言の信用性を争う。
しかし、被告人が、本件取材の際、同女の体を本件車両に押し当てたとの点について、同女は、被告人から自己の口元にテープレコーダーを差し出され、逃げようとすればするほど自分に覆いかぶさるように迫られたため、自己の右足が曲り、反り身になつたこと、被告人に体を揺さぶられ、自分の腰が本件車両にゴツン、ゴツンと何回かぶつかり、その際痛みを感じた旨、被告人の暴行を肯定する証言をしているところ、右証言は、本件の重要な部分において前記各目撃証言と符合するうえ、内容も同様に具体的かつ明確であつて、その信用性に疑念を抱くべき事情は見出せない。
ただ、証言中には細部において記憶のあいまいな部分が存在するが、右は、同女が登校途上思いがけず取材の対象とされ、一方的に受けた一連の暴行による動揺や興奮のためとみれば、むしろ、作為のない自然な供述ということができ、また、車両後部角の高さと同女の腰のあざの位置の高さとの違いについては、被告人と被害者がもみ合う過程において、被害者の体がある程度上下したであろうことを考慮すれば、多少の高さの差はさして異とするに足りず、しかも、同女の腰のあざは、その状況からみて、車両後部の角以外の部分に当たつた場合でも生じうるものと認められるから、右両者の高さの差を理由として、同証言の信用性を否定するのは相当でない。さらに、同女が本件直後Aらに伝えた本件取材時の状況も、同女の当公判廷における証言と基本的な部分において格別異なるものと認むべき証拠はない。したがつて、同女の証言もその大綱において十分信用に値するものといえる。
五さらに、被告人の供述の信用性について検討する。
1 被告人は、冒頭で述べたように、本件現場において、Rを本件車両に押し付けるような暴行を加えてはいない旨供述し、その理由として、まず、同研究所前歩道上において、同女の右腕をつかんでからNに蹴られるまでの間、その場を移動していないし、下げていた同女の右腕を胸元の方にねじり上げることなど一切していないというが、当公判廷における被告人の供述によれば、被告人は、Rが立ち去れば、取材ができなくなつてしまうと思つて、とつさに同女の右腕をつかんでしまつたというのであり、さらに、被告人及び証人Nの当公判廷における各供述によれば、被告人が同女の腕をつかんでいた時間はおよそ一〇秒くらいであつたことが認められることなどに鑑みれば、このような経緯及び状況の下で、被告人が、同女の腕をつかんだまま、何ら移動等もせずに約一〇秒もの間、その場に同じ姿勢でいたということ自体誠に不自然というべきである。
加えて、被告人は、本件翌日の昭和六一年一二月九日、参考人として任意取調べを受けた際、同女の腕をつかんだ後、同研究所の駐車場内の車両前付近まで移動している旨供述し、図面まで作成していること(司法警察員に対する同日付供述調書及び同調書添付の図面)、前掲録音テープ中にある、現場に居合わせた男が、被告人に対して話しかけていると認められる「むちやくちやなことするなよな。」との発言内容、Nが被告人に対し飛び蹴りという異常とも思える行動に出ていること、右テープ中に録音されているその際における被告人の粗野な言葉遣い、目撃証人らが異口同音に被告人が痴漢か変質者と思つたと述べていることなど、関係証拠により認められる諸事情に照らせば、同女を腕をつかんでからはその場を動いていないだけでなく、同女の右手を上方にねじり上げたりもしていないという被告人の弁解は到底信用することができない。
2 次いで、被告人は、本件当時の甲に関する編集企画の内容からして、被害者に対し前記のような暴行を加えてまで、無理に強引な取材をすべき緊急の必要性はなかつたから、被告人が本件のような暴行に及ぶはずがなく、被告人としては、同女の右手をとつさにつかんでしまつた点を除き、本件取材に行き過ぎはなかつたというが、判示のとおりの経緯で、昭和六一年八月ころから、被害者に対する取材活動を行つていた被告人は、本件当日も午前中から本件現場で数時間待機し、本件発生後も現場付近でさらに数時間取材していたほか、夜には被害者宅を訪れ、嫌がる被害者の両親とりわけ母親に対し、インターホン越しに、挑発的・嘲笑的・侮辱的あるいは脅迫的な口調でコメントを求め、母親が応答を断ろうとすると、相手が出るまでチャイムを鳴らし続けたり、周囲をはばかることなく大声で呼び掛けたりするなど、長時間にわたり執ようかつ強引な取材行為に出ているのであつて、右のような一連の行動は、被告人がいかに被害者からのコメントを欲していたかを如実に物語るものである。
しかも、被告人は、取材記者にとつて重要な補助機材と思われるテープレコーダーを誤つて操作しながら、それに気付かないで本件取材を続けていたことなどの状況からみれば、被告人自身かなりの程度において冷静さを欠いていたことは否定できず、また、前記1で述べたような録音テープ中にある現場に居合わせた男の発言内容、及びその際におけるNや被告人の言動などをも考慮すれば、被害者の右手をとつさにつかんでしまつた以外、何らの暴行も加えておらず、本件取材に行き過ぎはなかつたとする被告人の弁解は到底首肯することができない。
3 そのほか、被告人が本件暴行の存在を否定し、種々述べるところは、いずれも前掲各証拠に対比し措信することができず、他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。
六したがつて、被告人が本件取材の際、Rを本件車両に押し当て、その結果、同女に前記認定のとおりの傷害を負わせたことは証拠上明らかであり、これを否定する弁護人の主張は採用できない。
なお、弁護人は、被告人がRの右手をつかんだ行為は、同女からコメントをとろうとして、とつさになされたものであつて、その際の被告人には暴行の犯意はなく、また、仮に右の行為が暴行にあたるとしても、傷害の結果を含めてその被害は極めて軽微で、不法性も軽少なものであるから、被告人の所為は可罰的違法性を欠き、犯罪の成立は否定されるべきであると主張するが、被告人の暴行の態様は、既に認定説示のとおり、単に被害者の右手をつかんだというにとどまらないものであるから、弁護人の主張は、前提において失当であり、排斥を免れない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により、全部これを被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、写真週刊誌の記者である被告人が、有名テレビタレントの愛人とみられていた被害者から強引に取材をしようとして、同女に傷害を負わせた事案であるが、その経緯・態様は、判示のとおり、登校途上の被害者が被告人の取材申込みを無視して通り過ぎようとしたのに対し、被告人がこれに応じさせるべく、執ように迫つた挙句、駐車中の自動車に同女の体を数回押し当てるという粗暴な振舞いに及び、その結果同女を負傷させたというものである。
被告人のかかる行為が、取材記者として許容されるべき正当な活動の範囲を著しく逸脱した違法なものであることは、多言を要しないところであつて、それ自体到底容認しえないばかりでなく、登校途上において、白昼、衆人環視の中で、被告人から右のような仕打ちを受けたうら若き被害者が、肉体的苦痛もさることながら、多大の精神的衝撃を被つたであろうことを考えると、被告人の行為は、同女の人格を無視した誠に身勝手な犯行というべきである。しかも、被告人は、本件犯行後も何ら自省することなく、同女の関係者とりわけ両親等に対して、執ようかつ強引な取材を行つているのであり、また、本件当時、一部出版・報道関係における取材等の行き過ぎに対し、その自粛が強く求められ、被告人自身そのことを十分認識していたものと認められること、及び本件が取材対象者に対する雑誌記者の傷害事件として及ぼした社会的影響等をも併せ考えると、その犯情には悪質なものがあり、被告人の刑事責任をゆるがせにすることはできない。
しかしながら、他方、本件は、判示のとおり、被害者に対する取材の過程で発生した、いわば偶発的犯行とみることができ、暴行の態様も、殴る蹴るあるいは器物を使用するなどというものとは異なり、被害者の腕をつかみ、同女を押しとどめようとして、その体を自動車に数回押し当てたというものであつて、その程度は比較的軽微といえ、傷害の結果も、幸いにして腰部のあざと軽度のむち打ち症にとどまり、それ程重大なものではない。さらに、本件取材に関し、被害者との間で示談が成立し、被害感情も宥和していることがうかがわれることのほか、被告人は、これまで窃盗の前歴が一件あるのみで、他に前科前歴がなく、取材記者等として平穏な社会生活を送つてきており、再犯のおそれも少なく、本件発生後現時点までの間に相応の社会的制裁を受けてきたものと認められることなど、被告人のために酌むべき情状も認められる。
したがつて、以上の諸事情に傷害の程度を同じくする類似事犯の量刑例等をも参酌し、主文のとおり量刑した。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮嶋英世 裁判官大出晃之 裁判官永井尚子)